「スケート大好き!」

by 酢好き大好き(スズキダイスケ)

木下アカデミー・アイスアリーナで、10月のスケート教室。ブーツカバー、裏でも表でも、気にしない!

10月。
朝晩、寒い。

今日は、道が混んでいた。
宇治橋を通るのに30分かかった。

到着。
いつもより、あわただしく靴を履く。

気づいたら、右のブーツカバーが裏だった。
ブーツカバーとは、スケート靴の上にかぶせる布だ。
おしゃれと、靴の保護のために履く。
構造上、あらかじめ足くびに通しておいてから、靴を履く。
どうしよう、直すなら、靴を履きなおさないといけない。

まあ、いい。
このままにしよう。
教室前のおしゃべりで、
「あわてて裏向けに履いちゃいましたよ」
と、ネタに使える。

私が今使っているブーツカバーは、昨年京都アクアリーナで購入したJiv Sport Ltd.」のものだ。

じっくり見ると、このカバー、表裏、あまり差がない。
生地のテカリは少し違うが、縫製に「いかにも裏ですよ」的な差がないのだ。
「どうしよう、ネタにできないじゃないか」。

(-_-;)

う~ん。
まあ、いいさ。
話のネタは、あきらめた。

しかし、それはそれで、このブーツカバーは、この先も履くとき、裏か表か、そんなに気にしなくても、いいということだ。
こりゃ、楽じゃないか。


先週、スケート靴のことを書いた。
その流れで、今回スケートショップ「マルジュウ」について記載する。

正式な社名は、
「有限会社 マルジュウスケート専門店」
である。
マルジュー」ではなく「マルジュウ」だ。
住所は「横浜市神奈川区二ツ谷町1番地1号」。
東神奈川リンクの前、道路をはさんだ向かいのビル1階に店はあった。

マルジュウとの出会いは、私の最初のホームリンク、ハマボールでだ。
小さい支店というか窓口があり、物販とメンテナンスをやっていた。
楽しい人柄の店員(おじさん)がいた。
名前は忘れた。

そこで私の最初のマイシューズを作った。
セット靴で、靴はフニャフニャの初心者向けだったが、ブレードはコロネーションだった。

そのハマボール店は、まもなく無くなった。
東神奈川まで行かなければならなくなったが、ひと駅だ。
そちらには、ハマにいた店員さんと、もうひとり男性がいた。
代表取締役、今野和明氏だ。

その東神奈川の店で、靴、ブレード、用品・・・必要なものを、何度も買った。

その後、近くのマンションに「アイススペース」が開業する。
同じくスケートショップだ。
私は、どちらの店も利用していた。
アイススペースのスケート靴は輸入の既製品のみだった。
ヨーロッパ製の靴を買ったことがあったが、東洋人足を持つ私には合わなかった。
やはり私には、マルジュウのオーダー品「T-80」がピッタリだった。

2005年にマルジュウで、2つめのT-80を注文
コブ出しやその他、世話になった。

マルジュウの東神奈川の店は2007年に無くなった。
が、今野氏は自宅でマルジュウを続けられていた。
何度か出かけている
私以外も、お客は来ていた。

2008年春、私は関東を離れる。
マルジュウのホームページはあったのだが、いつしか消えた。
もう廃業したのだろう。

「有限会社 マルジュウスケート専門店」は、全日本やNHK杯のパンフレットに、よく広告を出していた。

下の写真は、大会パンフではなく、お店の出していたカタログだ。
靴やブレードの、写真や説明を見て、
「次は何を選ぼうか」
と、思いをめぐらせていたものだ・・・。

 (^^♪

マルジュウの、'95~'96カタログ。

次の話。

横浜のハマボールでスケートを習っていた私には、スケートショップといえば、マルジュウだった。

そこに、アイススペースができた。
マルジュウと同じ東神奈川である。
「神奈川スケートリンク」の、坂田コーチが始めた。

ハマボールの高橋コーチは、
「ブレードの研磨は新しくできたアイススペースがよい」
と推薦した。
だから研磨はアイススペースに行くようになった(2005/05/272005/08/06)。

アイススペースは、マンションの2階にあった。
エレベーターで上がって、中が見えないドアを開ける。
ガラス張りのマルジュウと違い、入りにくい。
女性用の衣装が並び、店員も客も、女性ばかり。
マルジュウはホッケーやスピードも扱っていた、雰囲気が違う。

2007年01月14日、ハマボールは閉鎖になる。

2007年11月、私は東神奈川の日曜教室に参加する。

この時、初めて坂田コーチに教わった。
その教室は、坂田先生ともう一人長身の先生が交代で教えてくださった。

2008年04月、私は関東を去る。
神奈川の教室は半年だったが、私にとって第二のホームリンクとなった。

仕事で関東へ出張した時など、時間を作って東神奈川に寄っていた。

2010年11月13日も、そんな日だった。
友人と近況を話していた時、言われた。
「この中にいる間は、坂田先生の名前を口にしないで」
と。
休憩場所には、
「坂田コーチ、およびその選手は、当スケート場に立ち入りを禁ず」
との書面が掲示されていた。
きわめて違和感が、あるものだった。
「出禁」にしたのなら、そもそもそれを館内に表示しても、見ることができない。
スケート場は、一般観客が遊びに来るレジャー施設でもある。
そんなもの見せて、普通の人には何のことかわからない、気味が悪い。

坂田先生は坂田コーチから「研磨職人の坂田氏」となった。

2011年12月23日。
私は大阪府門真市にある「なみはやドーム」へ全日本選手権を見に行った。

ロビーにアイススペースの出店があった。
最新の道具、用品が並べてあった。
レボリューション型のブレードが陳列されていた。

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思わず近寄った。
坂田先生にお会いした。
最新のブレード、シューズについて教えていただいた。

のちに私は、GoldStarRevolutionを、アイススペース・ネットで購入する。

そのころ、アイススペースの大阪支店ができた。
2019年01月06日、大阪のアイススペースに、靴を研ぎに持って行った。
GSRは自分でねじどめしていたが、うまくついていなかった。
大阪の店員さんは、さらっと直してくれた。

このたび、この話を書くにあたり「アイススペース」をキーワードにネット検索した。
アイススペース神奈川本店の「伝説の研磨職人」は引退、今は代わったらしい。
引き継ぎのとき、前任者が急病で話も聞けなかった、という。