「スケート大好き!」

by 酢好き大好き(スズキダイスケ)

1989年1月14日土曜日。スケート記念日。ハマボールの朝日カルチャー教室に初めて通う。

1989年1月14日土曜日。
この日は私のスケート記念日だ。
この日、スケート教室を始めた。

<1989年1月14日の日記>

1989/1/14 スケートを始める。30歳2ヶ月。
スケート1回目。楽しい。終って横浜をうろうろした。

説明する。
1989年01月14日土曜日、私はE君に誘われて横浜のハマボールで朝日カルチャー教室のスケート教室に参加した。

Eは、年がいっしょの同僚で、神奈川育ちの都会っ子だ。
私に「テニスに行こうよ」「冬はスキーだよ」「今度ヨット部の体験会に行ってみないか・・・」と、誘ってくれる。
メンツ集めでもあるのだが・・・。

で、ある年、冬の初めに私が
「この冬もまたスキー旅行に行くのかい?」
と聞いたところ、
「スキーも飽きたね。今年はスケートやってみないか。新聞で教室募集しているのを見たんだ」
と言う。
「ああ、いいね」
と答えた。
若者だった私は、何でもやってみるという精神でいたので、Eの誘いに乗った。

朝日新聞がやっている朝日カルチャー教室。
その横浜校の、外部施設の「フィギュアスケート教室」は3か月一期の構成だった。

よちよち歩きの状態から、少しづつ滑りを覚えて行った。
翌2月にはマイシューズを申し込んでいた(マルジュウスケートハマボール店)。

当時、住まいは藤沢市、職場は茅ヶ崎市学習研究社、植物工学研究所だった。
毎週土曜、横浜(ハマボール横浜駅前、西区北幸、新田間川前)へ、スケートを習いに来て、ハマぶらして帰るのは、よい一日だった。
1989年は昭和64年。1月7日に天皇崩御、8日から平成元年となった。
私をスキーに連れてって」の、バブルな80年代は終わり、世は自粛。
4月から消費税が開始。

半年経過。
Eは「スケートは飽きた」と言って次期の更新をしなかった。
もう夏だったから。
私は続けた。

Eはその後スケート教室をすることはなかった。

私はスケート関係の友人との付き合いがメインになっていったのだった。
1989年12月16日は発表会「HAMA FIGURESKATE FESTIVAL クリスマスファンタジー ホワイトクリスマス」に参加。
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1990年6月23日にはJSU(日本スケート連盟)のバッジテスト初級合格。

注意
この書き込みは、後から書いたものです。
1989年には、まだブログは存在していませんでした。