「スケート大好き!」

by 酢好き大好き(スズキダイスケ)

最後の大阪。浪速スケートへ。「浪速スケートセンター」さようなら。

2020年4月7日。
私は大阪に最後の用事、定期ロッカーの解約に出かけた。

この年1,2月はまだ他人事(ひとごと)だった新型コロナウイルスは3月になると感染が広がり、各地のスケートリンクが休業しはじめた。

1989年に横浜のハマボールで始めたスケート教室。
2008年から関西に移りメインリンクとして通い続けたのが「浪速スケートセンター」だった。
通年営業のリンクで一年中滑りたかったからだ。
休むことなく週に一回通ってきたが、2019年3月に病気(脳卒中)をして休会となった。
秋から復活し12月まで続けたが、1月から3か月また休会して、4月から復活する予定だった。
寒い期間は休もうという、それだけの理由だった。

そんなおり、あるスポーツ施設(ジム)が、ウイルスのクラスター源(集団感染の源)とされた影響で、スケート場も一般営業をやめるところが増えてきた。
教室も急な中止が発表された。

しかしホームページで知らされる最新情報では、できれば「営業再開」「教室再開」に戻したい様子も見え、気をもむ日々だった。
私は4月から、教室復帰し気持ちを新たにスケートライフを充実させたかったものだから「やきもき」していた。

一方私は、滋賀県立アリーナ(びわ湖アリーナ)でもスケート教室に行っていた。
このリンクは家から近いのだが通年営業でなく、教室が月曜と平日なので、「1年中滑りたい」のと「平日は働いているから教室には入れない」との理由で、メインリンクにはならなかった。
途中からスケジュールが合うようになり(大阪勤務時代、月曜が指定休の週4勤務だったのだ)、ときどき教室に行くようになっていた。

さらに2019年末に京都府宇治市に通年リンク「京都アイスアリーナ」ができ、調査目的で2020年2月ここの教室も体験してみて、選択肢の一つとなった。

滋賀と京都で「一年中」&「習いたい」目標を達する可能性が出てきた。

そんな3月半ば、大阪に電話して状況を聞いてみたが、コロナがどうなるかはわからず先はわからないとのこと。
残念だが、長く通った大阪の教室は、退会することにした。

本来書類提出が必要なところ、この状況なので(来所なしで)電話で退会処理は完了。
借りていた定期ロッカーの解約も同時に済ませた。
ただロッカーの中身と鍵の返還にはどうしても1回は現場まで行かなければならない。結局、一度は行かなければならないのだ。

3月中に行くつもりだったが行こうとした日に急に花粉症(ヒノキ?)が発生、鼻がグズグズする。
これはまずい。
ウイルスのはびこる中へマスクを外して鼻をカミカミしながら出かけるのは危険だ。
遅らせた。
が、遅くなっても事態は悪くなるばかり。
コロナは広がる一方。
4月になってしまい緊急事態宣言が出されそうだ。
花粉症も収まったので意を決しこの日出かけたのだ。

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「人気(ひとけ)のない、浪速スポーツセンター」

なんばで下車。
いつも通るルートでリンクへ向かう。
10年にわたり歩いた道だ。
春に相撲の行われる体育館の裏、見えてきた・・・。
建物は開いているが人はいない。
浪速スポーツセンターは、スケート場だけでなくすべての施設が閉鎖中だ。 

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「照明の消えた浪速スケートリンク

地下に降り係員さんに頼んでロッカー室に入れてもらう。
リンクの照明は完全に切られ真っ暗だ。
スケート場は一般営業が終わった後も、フィギュア、ホッケーの貸切が入り照明が消える時間がほとんどない。
この真っ暗な景色はメッタに見られない。

私は以前に一度だけこれを見たことがある。
ハマボールが終わったときだ。

スケート場は明るいのが花。
消えるのは、終わったときと、疫病で街が閉鎖されたとき・・・。
暗いリンクを一生で二度も見たぜ。
   (-_-メ) 

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「この看板の地の紺色も、10年ですっかりあせたなぁ~」

用事は終わった。
公園側の出口から出てみた。
例年なら見上げた桜・・・。

なんばのリンク、お別れだ。
もう来ないのだろう。

「浪速スケートセンター」さよなら。