「そうよ私は京都に行くの。京都のまちはそんなにいいの。スケート教室があるから」。
知事が「京都に行ってはならない」と言っている。
コロナが再流行し始めているからだ。
なのに私は京都に行くの ♪
12月最後の金曜教室。
クリスマスのせいだろうか、参加者は10名以下だった。
習ったのはコンパルソリー。
写真(上)は休憩スペース。
休憩室(前室)とリンクとの温度差が大きくなった。
こちらは暖かい。
写真(下)は「クリスマスカクタス」、シャコバサボテンだ。
今月初めに「コーチ室に・・・」と私がリンクに贈った。
フレンドマート宇治市役所前店で購入した。
つぼみの多いものを選んだのだが、買った時のままだ。
咲き進んでいない
(-.-)
この花は止まっているのか?
フリーズしているのだろうか?
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2021/1月追記。
結果この日が滑り収めとなった。
2020年の初滑りは1月16日のビバスクだった。
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昼飯は(今週も)そばにしよう。
向かったのは「伊藤久右衛門」本店。
年末は年越しそば、って意味でうどんではなく、そばを選択。
先週の吉野家の十割そばに比べるとなめらかさがある。
小麦粉でつないでいるのだろう。
抹茶粉を混ぜ込んだらグルテンでくっつけないと。
麺に茶の味はほとんどわからない、色は緑。
出汁は、吉野家のそば汁に比べたら甘みは少ない。
窓の外を見ていたら、緑色のあれを見た。
ここじゃあれまで緑なんだ・・・
レポートはまた今度。
「宇治通い」が始まり「スケートのあとに行くところ」の候補に、隨心院と勧修寺を考えていた。
昨年末「山科検定」に挑戦し学んだことで、郷土・山科にたいする私の好奇心が高まってきた。
この両寺には30年前に一度行っている。
1990年、平成2年の12月27日、木曜日だ。
年末の帰省中、その日私はバスで山科めぐりをしている。
記憶はあまりない。
ブログも残していない。
このブログは2005年7月9日からだし、私のもう一つのブログ「モンテル」(スケート以外のことを書いたブログ)も初回は2005年01月31日だ。
30年前、1990年にはブログはまだ世の中に無かったのだ。
インターネットも未発達、メールやホームページなんてのは1995年から広まったんだ。
30年前、1990年、私は32歳。
研究所勤務、スケートは既に始めていた(1989年1月)。
話は2020年の12月25日。
宇治スケート教室が終わり茶そばを食った私は、宇治からの帰りのみちくさの、今年の締めとして、隨心院と勧修寺に行くのだった。
車は奈良街道を折れて隨心院の駐車場へ。
駐車車両はほとんどなし。
写真(上)は隨心院薬医門、拝観料を払って中に入った。
他の客はゼロ。
コロナ・リスクもゼロ。
書院を見学。
襖絵は豪華で古びたもの、風景や賢人を描いている。
最後の一枚(写真下)は小野小町の生涯を描いた、現代の「マンガ的」襖絵、感想はゼロ。
本堂には、如来、菩薩、天部、人物像が並ぶ。
堂内がたいへん暗くあまりよくわからない。
物音がする・・・なにかと思ったら、新婚撮影隊が来て庭で写真を撮っている。
ご本人方+カメラマン+コーディネーター(?)。
しばらくしたら中に上がってきて室内でも始めた。
うるさくはないが押し出されるように私は拝観を終了。
以前に行った府立植物園には新婚写真クルーが園内各所に複数隊いて、一般客は迷惑なくらいだった。
確か規制になった。
こいつらはいろんなところに来る。
勧修寺。
堂が工事中で、おおわれて見えず入れず、庭を回るのみだった。
しかも回遊式庭園は整備ができていないのだろうか、行くなら自己責任でとある。
覚悟して行ってみた。
回っていると30年前の情景が思い出されてきた。
「来たことがある」・・・前と同じだった。
すると先ほどの隨心院のことも思い出してきた。
30年前も小雨&曇りだった。
その時は勧修寺を先に見て、そのあと随心院に行った。
院の中にいたら、通りかかったお坊さんが「説明してあげるよ」と言って、ずっと解説をしてくださったのだ。
室内のこと、襖絵の説明、仏像のこと・・・お坊さんは「ふつうはご説明はしないんだけど、今日は特別に・・・、特別だから・・・」とやたら繰り返し言った。
30年前のこの日のことを記した私のメモには「随心院(特別扱い)」と書かれていたがその意味が分かった。
勧修寺の庭園の梅のつぼみは固かったが、もう少ししたらきれいになる。
にぎわうのだろう。
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2020年のスケートブログの書き込みはこれでおしまい。