「スケート大好き!」

by 酢好き大好き(スズキダイスケ)

「国立代々木競技場」の思い出。1992年12月12,13日、国立代々木競技場にNHK杯国際FS競技大会を見に行った。

2020年に二度めの東京オリンピックが決まり、最初のオリンピックの関連施設について話題になることが多い。
スケート愛好者にとって「国立代々木競技場」は重要だ。
日本のフィギュアスケート史の舞台のひとつだ。
もともとは室内競技を行う体育館だが、冬季には氷を張って、スケートの試合やショーを誘致する。
観客席数が多いから、規模の大きいイベントになる。

私が代々木競技場に最初に行ったのは、1992年12月だ。
10日から13まで行われたNHK杯(NHK杯国際フィギュアスケート競技大会)の12日(土曜日)と13日(日曜日)に行った。
キャンデロロを見たんじゃなかったかな。

1995年には、プロフィギュア選手権大会、これは一種のショーだ。

1998年には長野オリンピックのメダリスト・オン・アイスを見た。
エキシビは長野でもあったが、東京でもう一度やったのだ。
長野のエキシビのチケットはムリだったので、東京での実施が決まったら速攻ゲットした、よかった。
(オリンピック本番は、男子のショートとダンスの規定を見たんですよ。あまり人気じゃないプログラムだ。このあたりしかチケットは取れなかったんだよ。けど、現場に行けたのは良かったな。いい思い出だよ)。

その後も、グランプリ・ファイナルなど、いくつか見に行った。

代々木競技場は、せっかくお金をかけて用意したアイスリンクをすぐに撤収するのは、もったいないと考えたのか、一般客への公開も行っていた。

その自分で滑るほうの代々木、初体験は、1999年1月31日(日)、パソコン通信オフミだった。
ニフティサーブにはFWINTERというウインター・スポーツのフォーラムがあった。
オフライン・ミーティング(オフミ)とは、いつもはネットのやり取りだが、どこかのスケートリンクに集まって、いっしょに滑って、その後で一杯やりながら交流しようというものだ。

ニフティオフミは恒例になり、以降も開催された。
自分が主催者になり開催したこともあった。

会社帰りに、一人で靴をかついでいって滑ってから自宅に帰るというのも、よくやっていた。
朝から通勤カバンに靴を入れているのである。
日比谷シティなど、冬季に屋外リンクが設営されることはあった。
仕事終わりに滑りに行くという楽しみを、よくやっていた。
その一つとして、代々木が加わったのである。
こういう冬季特設リンクは、通年リンクと違い「ヌシさま」がいないから気やすいのだ。
行きやすい。
よく行っていた。
冬の思い出だ。

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2005年、国立代々木競技場から「アイススケート場の一般公開は今季限りで終わりです」とのアナウンスがでた。
国民の税金が投入される国立の施設なのに、一部のスケートファンだけが「得」するのはいかがなものか、という話になったというが、真実はわからない。
いずれにせよ、終わる。
そこで、ニフティを含む関東エリアのスケートファンで、2005年1月26日、一日貸切をとっての集まりが開催された。
それに参加したのが、代々木に滑りに行った最後となった。
観戦もその後、行っていない。

当スケートブログのスタートは2005年7月からなので、代々木競技場で滑った話は出てこない。
2005年の冬からは、横浜赤レンガ倉庫に作られた「アートリンク」という屋外リンクに、ヘビーローテーションしている。
これは当ブログにたくさん出ている。

注意
この書き込みは、後から書いたものです。
1992年には、まだブログは存在していませんでした。